私の父も陸軍でフィリピン、マニラへ出征。
空軍も海軍も肺活量が足りなくて落ちたと嘆いていた。
しかし志願兵だったので
割りと待遇は良かった様子。
「爆弾が落ちる所には人柱が立つから解る、
それを避ければ大丈夫」
という謎のアドバイスを今でもしてくれる。
ただ、亡くなった仲間を親指だけでも連れて帰ろうと、
切り取って名前を書いて袋に入れて持ち歩いていたそうだが、
ある時その袋を預けた仲間が死んでしまい、
どこを探しても見つからなかったらしく、
「連れて帰ってきてあげたかった・・・
それだけが心残りだ」
と酔っ払うと必ず言っている。
伯父は成績優秀だったけど、
「どうせ死ぬなら派手に」
と特攻隊を志願。
同級生はみな
「やめておけ、お国の為に死ぬ事はない」
と説得したけど、
聞く耳を持たなかったらしい。
しかし私の親族はみんな小柄なので、
やっぱり伯父も肺活量が足りず、
結局特攻隊員にはなれなかった。
泣く泣く空軍の内部の仕事をしていたらしい。
そして戦争が終わり実家に帰ると、
自分の志願を止めた同級生は全員戦死していたそう。
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