俺が高野山に住んでいた時、
こんな噂話を聞いた。
曰く、
「昔、坊主専用の廓が、山のどこかにあった」
「その廓は終戦後取り潰されて廃墟になったが、
今でも形を保っている」
「そこはとんでもなくヤバイところで、
何が出るかは知らないが、
行ったら正気では帰って来れない」
と、ものすごく好奇心をそそる内容。
当時寮生だった俺は、
ある夏の休日に、
寮の後輩を無理矢理引き連れて、
噂の廃墟へと向かったのさ。
と言っても、
廃墟の場所は正確にわからないから、
ちょっとしたピクニック気分で山の中に入っていったんだ。
それが甘かった。
高野山の山の中って、
同じような木が同じように生えているばかりで、
一度迷ったらなかなか現在位置がわからなくなるんだよね。
面白がって細い獣道ばかり選んでた俺らは、
それこそ一瞬にして迷った。
帰り道どころか、
今どの山を歩いているのかもわからない。
歩けば歩くほど、
より奥に迷い込んでいく感じだった。
いよいよ日も翳りはじめてきた頃、
誰かが
「迷ったら尾根に出ろ」
と言い出した。
多分どこかでの聞きかじりだったのだろうけど、
一面槇の木に囲まれているよりは、
回りが見渡せる方がましだ。
とにかく上に向かって上り始めた俺たち。
どのくらい上ったのか、
尾根らしきところに出ると、
やっと回りを見渡す事が出来た。
遠くに大きな町と、
反対側の近くに小さな町。
あれは奈良で、
反対側は九度山か?と推理しても、
現在地は不明。
その時はもう、
みんなつかれきった上空腹で、
喉も渇いている。
とにかく尾根沿いに歩くしかないと、
遠くに見える町のほうに歩き出した時、
後輩の一人が
「水!水がありますよ○○さん!」
と叫んだ。
立ち止まり耳を澄ますと、
確かに水の流れる音がする。
水のにおいも漂っている。
近くに沢があるのか。
とにかく乾いていた俺たちは、
水の音に向かってダッシュした。
5分ほど薮を踏み越えていくと、
いきなり周囲の景色が開けて、
驚くくらい大きな川が流れていた。
大きな川と言っても、
幅は5~6mくらいだったのだけれども。
とにかく水があったことで、
みんな激しく喜んだ。
まず靴を脱いで足を浸すもの、
コンビニのビニールに水を汲もうとするものなどいたけれど、
俺はまず水が飲みたかったから、
水を両手ですくって、そこで固まった。
「おい待ておまいら!この水飲むな!」
不信そうな後輩たちの視線をあびながら、
俺は川底を指差した。
その川は、
岩盤の上をずっと水が流れていたのだけれども、
水底の岩の色が普通じゃなかった。
真っ赤。
これ以上ないくらい赤。
上流まで、ずっと鮮やかな赤。
あまりに鮮やかな赤い川を見ながら、
みんなが同時にある事を思い出していた。
昔々、丹紗とか丹とか呼ばれて、
万能薬とされてた鉱物があったと授業で聴いた。
お大師さんも、
高野山から京都にその薬を持ち込んでいたらしい。
でも実際は、
人体にとって毒物でしかなかったと言う。
で、恐らく水に混じって流れてたのは、
岩盤を赤く染めていたのは、
その丹紗、万能薬、要するに硫化水銀。
硫化水銀の赤色。
毒も気持ち悪いけど、
それ以上に、なにか触れてはいけないものに触れたようで、
全員がそこで固まってしまった。
川底の岩盤は、
上流に向かってより赤みを増しているようだった。
面白い論文が書ける、
という誘惑は確かにあった。
でも、誰も川をさかのぼろうとは言わなかった。
登山の常識としては最悪だと聞いたけど、
俺たちはそのまま沢を下る事に決めた。
二時間ほど歩いて、
偶然にも小さな集落に出て、
俺たちは親切な農家のおじさんの軽トラで、
最寄り駅まで送ってもらう事が出来た。
で、その後高野山に帰った俺たちは、
また普段通りの日常に戻ったわけだ。
しばらくしてから、
農家のおじさんにお礼に行ったら、
既にそこは廃村になっていたり、
また、赤い川はもう見つからなかったりとかしたけど、
それはそれでいい体験だったと思う。
関連記事
スポンサードリンク