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日本の『田舎』と呼ばれる場所には、 - 超怖い話 実話

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日本の『田舎』と呼ばれる場所には、

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日本の『田舎』と呼ばれる場所には、
様々な因習やら行事が今も残っていたりします。

私の祖母の家もそんな田舎。

民家が20件そこらで商店すら無い、
山に囲まれた集落にあります。

その集落にある公民館の端には、
山の神様を祀った御社と、
その傍らに小さな祠がひっそりと佇んでいます。

集落の人から
『稚児守り様(ちごもぃさぁ)』と呼ばれる祠さんには
小さな風車(かざぐるま)が供えられていて、
カタカタ……と音を立てながら回っている光景が印象的。

このお話は、その小さな小さな祠さんに纏わるお話です。

遡ること今から20年ほど前の事でしょうか。

当時、小学校低学年だった私は祖母の家に呼ばれ、
集落の行事に参加させられることになりました。

その行事というのが、
『稚児守り様(ちごもぃさぁ)』にお供えしてある風車を、
山の神様が住んでいるお山の祠に運ぶというもの。

毎年、集落の各家が持ち回りで、
家の長と子供が参加しなければいけないという風習でした。

確か、『稚児守り様(ちごもぃさぁ)』を夏の間、
山の神様にお預けするといった意味があったと記憶しています。

その年はちょうど祖母の家が当番で、
いとこが皆幼かったこともあって
一番年上だった私が選ばれたという、
いやはや、なんともいい加減な理由で、
離れた町に住んでいた私が行くハメになったそうです。

当日。初夏と言うには日差しが強く暑い日。

私は祖母に言われた通りに
長袖・長ズボン・帽子・軍手という、
雰囲気も……季節感すらガン無視の重装備で
行事に臨みました。

農業用の長靴に履き替える時に
文句を言ってはみたのですが、

「山ん中はスズメバチやらヘビがおっかい、あぶねぇど」

と言われる始末。

オカルトとは別次元の怖さで震え上がったのを
今でも覚えています。

さて、『稚児守り様(ちごもぃさぁ)』にお参りし
風車を預かった後、
軽トラでお山の麓に行って、いよいよ入山。

杉が幾重にも生い茂るお山には道は勿論、
獣道すらありませんでした。

祖母は軽トラの荷台から鉈を手にして、
藪の草やら木の枝を
バッサバッサと薙ぎ払いながら登って行きました。

私も置いていかれないようにと
必死に後に続いたのですが、
流石は田舎の農業で鍛えたバイタリティ。

時に這い蹲りながら斜面を登る私をよそに、
ヒョイ、バッサ。ヒョイ、バッサ
と登っていく祖母の姿に、この日2度目の驚愕!

どれくらい登ったでしょうか。

1時間、いえ、それ以上だったかもしれません。

ふと、のどが渇いて
リュックから水筒を出した時でした。

カラカラカラ……

リュックに差しておいた風車が、
山の斜面を転がっていきました。

慌てて追いかけ下ること十数メートル。

カラン、と風車が岩だらけの開けた場所で
動きを止めました。

ホッとして斜面を見上げますが、
祖母の姿は見当たりません。

急に不安に駆られた私は周囲を見渡しましたが、
周りは岩場、そしてその周りには木、木、木。

ふと、その視界の端に、
赤く揺れるものが映り込みました。

視界を戻して見ると、
そこには誰もいません。

おかしいな、と思いながら風車を拾ったーーーその時でした。

「・・・あそぼ・・・・・・」

ビクッ!と振り返ると、
私のすぐ傍に女の子が屈み込んでいました。

年のころは私より少し小さいくらいで、
妙にくすんだ赤い着物?浴衣?を着た女の子が、
こう、しゃがみ込んで私を見上げていたのです。

内心1人じゃないことに安堵しながら

「誰?集落の子?」

と話しかけますが、
女の子はニコニコ笑うだけ。

迷子だと危ないな、
と自分のことを棚上げして女の子の手を取りました。

いえ、手を取ろうとしたのですが・・・・・・
掴んだのは着物の袖。

「お手てはねぇ・・・無いの・・・」

え?と思う間もなく、

「ねえ・・・遊んで・・・・・・
遊ぼ・・・遊ぼ・・・ねえ、遊ぼうよ・・・
遊ぼ、遊ぼ、遊ぼ、遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ遊ぼ!!!」

・・・喜々とした、狂ったように眼を見開いた女の子の顔が
ぬぅっと私の目の前に迫ったところで、
記憶がプッツリと途切れました。

これは後に祖母から聞いた話ですが・・・

祖母は私の叫び声で私の居場所を見つけ、
その時の私は立ったまま呆然としていて、
傍には誰もおらず。

そして、私はぼーっとしながらも
祖母の後に続き風車を山の祠に届け、
ぼーっとしたまま無事に祖母と山を降りたのだそうです。

そんなことがあって、
十数年過ぎたお盆のこと。

私は入院していた祖母の名代で、
祖母の代わりに親戚、
もとい集落の人たちの歓待をしていました。

宴会の話題の内容は集落を出ていった人たちの話題から、
今年の米の出来、それから戦時中の自慢話などなど、
取留めもないような話が延々と。

その中で、今年の『稚児守り様(ちごもぃさぁ)』の当番の話へと
話題が移っていきました。

そう言えばと、近くで酒を飲んでいた近所の爺さまに、

「あの稚児もいさぁってどんな謂われがあるんですか?」

と何気なく訊いてみました。

「あ~、あん祠んこつね?
こいは昔に爺さんから聞いたとやけど……」

と、爺さまはそのまたお爺さんから聞いた話を
語って聞かせてくれました。

ずっと昔、あの祠がある公民館の場所には
一軒のお屋敷があったそうです。

ある日、そのお屋敷が火事で焼失し、
一家は皆亡くなったとか。

それからしばらくして、集落の子供が1人、
行方不明になりました。

当時の集落の人が総出で
山狩りまで行ったそうですが見つからない。

そうした中、焼けたお屋敷の親族が
焼け跡の片づけをしている時に、
焼け跡にパックリと穴が開いているのを見つけました。

中はちょうど地下室のような空間で、
真ん中を木の格子で区切られ、
畳も敷かれたお座敷がきれいに残っていました。

その『格子の向こう』に行方不明になっていた子供と……
痩せこけた女の子の亡骸があったのだそうです。

集落の人は誰一人として
その女の子のことを知らなかったため、
地下室は座敷牢
(障害を持ったり気の触れた家人、隠し子などを恥として閉じ込めるための物)
だったのだろう、と考えたそうです。

集落では女の子を手厚く供養したのですが、
以来、夏になると子供が度々いなくなる。

果てはお屋敷の跡に祠を建て、
『地籠り様(ちごもぃさぁ)』として祀ったのですが、
それでも収まらない。

そこで、当時の集落の人々は子供を守るため、
夏の初めに『地籠り様』を山の神様の元で遊ばせて、
夏の終わりに迎えに行くようになったのだとか。
そうして、『地籠り様(ちごもぃさぁ)』は
いつしかこの子供を守る風習そのものを指すようになり、
更には現地で同じ読みの
『稚児守り様(ちごもぃさぁ)』の字を当てるようになったのだそうです。

あの幼い日に見た女の子。

着物を着た、
手の無いあの子は誰だったのでしょうか?

今となっては知る術もありませんが、
この話を聞いた時に妙な符合の多さに愕然としたのを、
今でもはっきりと覚えています。

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2020.05.29|Genre:|Thread:恐怖の体験話コメント(0)トラックバック(0)Edit
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